いい日旅立ち〜北へ〜 Part.2

こんにちは。

北海道旅行の2回目。旭川キハ183系を撮影しようとしたところ、遅れにより被られ撃沈したところから。

今回から実質本編見たいなところあるんで前より増して長ったらしくなりますので、読者の皆様の好きなタイミングでチマチマ読んでもらえればなと思います。

それじゃあ逝ってみよう!!

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旭川で撃沈したからといって落ち込んではいられない。クルマは一路北へ走っていく。

かつて戦車も渡れるとされた軍都旭川の象徴、旭橋を渡る。ブレースト・リブ・バランスド・カンチレバー・タイドアーチ橋と呼ばれる独特で美しい構造のトラス橋は見る者を魅了するには充分であった。よくもまあ戦禍を免れ現代まで残ったものである。これで旭川の観光も終了。旭山動物園はまたの機会に行ってみたいと思う。

旭川を出てどれだけ経っただろうか。私が寝落ちしてしまったこともあり、気が付けば道北の名寄まで来ていた。駅前の駐車場に車を止め、今回の狙いである宗谷ラッセルの出庫まで待機する。ドライバーのお二方はここで水爆実験を施行。私はキハ40やキハ54が撮りたかったので、名寄駅に発着する列車の時間を見ては車を出入りし撮影に赴くことを繰り返した。

車を降りると、札幌や旭川とは比べ物にならない寒さが私を襲った。。新千歳空港の玄関を出て初めて北海道の空気に触れた時の「ヒヤッ」とした感覚とはまた違う極寒の寒さである。外気は-8℃だったか9℃だったか。いよいよ今回の戦場に来たのだと身が引き締まる。

まず稚内から来た名寄止を跨線橋から一枚。宗谷本線は新型のDECMOことH100形気動車が大多数を占めているが、名寄以北はまだキハ54の運用が残っているそうだ。関西発の甲種で大量のDECMOが蝦夷地へ島流しされて行ったのは記憶に新しいが、あまりにも増えていたので驚いた。なにせ名寄以南は数本を除いて全てDECMOなのである。ヒェェ

そのDECMOで事件は起こった。私たちDENSYAからの人気は底辺と言っていいだろうDECMOだが、せっかく地元兵庫で造られた気動車である。時間もあるし、撮ってもいいだろうと言うことで早速カメラを構えるが…。前照灯が一向に点かない。ウテシはとっくに来ているが点かない。地元で嫌と言うほど感じてきた嫌な予感がする。発車時刻だ。ドアが閉まり、エンジンが唸る。やっぱり前照灯は点かない。ここまで来たらもうお察しである。私の横を通り過ぎた瞬間に点いた。ありえない話である。なぜこんな日本の北の果てまできて発車後点灯に遭わなければならないのだ。先程跨線橋から撮ったキハ54もバルブは発車後点灯にやられており、内心発狂したし会社が潰れそうやから乗務員もオタクに嫌がらせせなやってられんぐらい心に余裕がないんやろ、などと大変失礼なことも考えたりはしたが、北海道の始発駅ではこれがデフォルトなのかもしれないと思い堪える。キハ54はともかく、DECMOは所詮DECMOだ。会社とDECMOのどちらが先に潰れるか分からないレベルなので気にしないこととする。しかし問題はキハ54だ。稚内方面からの列車は既に終了したので期待はできまいと落胆していたら、その稚内方面から踏切の音がした。何がくるか分からなかったがとりあえず構えると、闇の中からキハ54の前照灯が見えてきて一気に緊張する。「頼むから消さないでくれ…」と祈る。やってきたのは名寄に入庫する回送列車だった。祈りが通じたのか終始前照灯も点けっぱなしで、最後には汽笛もサービスしてくださった。BOSE回避。ありがとうございました。

あとはもうDECMOしか来ないしDECMO如きで精神をすり減らすのも嫌だったので車に戻る事に。その前に名寄の駅舎がとてもいい雰囲気だったのでちょっぴりスナップ。それなりに満足して車に戻ると、ドライバーのお二人はお目覚めになっていた。そろそろ出発の時間だ。

名寄の駅に入るのを撮ろうとしたらすでにモノが駅にいたので慌てて反対側の踏切に移動してまず一枚。ラッセルと初のご対面である。ゴツいラッセルヘッドに重厚感ある国鉄釜DE15の車体。エンジンの唸り。たまらない。

初野で一発撃ったあとは音威子府である。入線のケツ撃ちと一般的なバルブが出来るらしい。モノの接近と共に、駅舎で待機していたDENSYAもといKIKANSYAたちがゾロゾロと跨線橋に向かう。すぐに踏切が鳴った。KIKANSYAたちは全人類ケツ撃ちに向いていたが、ラッセル初参戦の私はここまでの道中で得た感覚と、音威子府では少々停車するとのことで、「これは入線でも行けるのでは?ケツはあとでいいや」と考え、周りとは真逆の向きにカメラを構え、シャッターを切った。

まあまあまあまあ。雪すごいね。帰ってからゴーストの処理と色出し超苦労した。ちなみにしばらく停車すると聞いていた音威子府はタッチアンドゴーだった。「まあ明日以降に再履修すればいいや」などと言っていたのだが、事情が変わってしまい来季への宿題となってしまった。ちなみにどういう事情の変化であったかというのは当ブログを読み進めていただければやがてわかることになるだろう。

その後は天塩中川でバルブ撮影にも挑んだものの、それなりの数のKIKANSYAsがおり思い通りの撮影ができなかった。こちらはドライバーのお二人にお願いして翌日最優先で再履修させていただくこととした。その後、車に戻った私の意識は遠のき、気が付いたら日本の鉄路最北端の地稚内。しかし私は初日からすでにへばっておりスイッチが入らず、鮮明な記憶があるのは折り返しの抜海から。稚内は一度行ってみたいと思っていた場所であったが、今回の旅行でこのあと再訪することはなく、こちらも将来への宿題となってしまった。自分で言うのもなんだが私はかなりいい加減な思考で済ませてしまうところがあるが、こうしてブログに残しておけば多少なりとも再履修に動こうと思えるだろう。

その抜海で問題が発生した。ラッセルヘッドの上二灯、いわゆる作業灯が点灯していないのである。はあ。まあ雪全然ないしなんならレールちゃんと見えてるし仕方ないのかもしれない。これもいずれ記事にできたらいいなとは考えているが、今年の私はつくづく雪に関する運がない。1月中旬に上越カッターを撮影するため遠路長岡へ赴いた際も記録的な高温により雪が解けてしまい、走ったはいいがどこか寂しいカットを量産する結果となってしまった。毎年大学入試共通テストの試験日は運転されているので走ったからよかったものの、あの日以外の日程で撮影を強行していたら間違いなくBOSEだったことだろう。

気を取り直して次のショバへ。雄信内の近辺で車が止まる。到着早々、S氏は軽い身のこなしで雪の山をかきわけ、山に分け入ろうとしている。ん、待てよ。確かに近くに線路がある気配はない。高く降り積った雪をかき分けていくのも、ここは北海道だ。まあわかる。でも…え?待って?山?これどう考えても雪の山じゃなくて雪山だよね?え?これから登んの?…マジかぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼‼

まず第一に、慣れないLCCでのフライトに加え、睡眠不足も相まって4日間の行程のまだ2日目であったがすでに体力の限界が訪れていた。第二に、あろうことか私は今回スニーカーで極寒の北海道に来てしまったのである。一般の方々と比べて山登りの機会が多い撮り鉄真剣部の皆様方や本格的な登山経験のある読者の方に置かれましてはすでに「あ…」となられていることだろう。スニーカーで雪山に入るというのは自殺行為に他ならない大変危険な行為なのである。もちろん私もその点は重々承知していたが、追っかけ中心となる今回の撮影で俯瞰に行くことなど全く想定していなかったのである。ただでさえスニーカーで北海道に来たことを悔いていた私は、戦闘開始前からメンタルブレイクしてしまったわけだが、被写体は待ってくれない。かといって、こんなところで滑落死なんてしてしまえば、同行者のお二人だけでなく、同じ撮影地に来られた多くの同業者の方々に多大なる迷惑をおかけしてしまうことになる。そればかりはなんとしても避けなければならない。そこで、私はひとまず「危険と判断したら即断念」を条件にスニーカーでの雪山登山に挑むことにした。この段階で既に危険な決断であるが、そんなことを言っては高いお金を払ってきたのが報われない。オタクが切り拓いたであろう獣道ならぬヲタク道を進む。突如として急斜面が現れ尻込みするが、しのごの言ってる場合ではないので足をかけるが滑る滑る。パウダースノーが踏み固められシャーベット状になっており、まともに足がかからない。よい子(だいぶ要審議)のみんなは間違えてもスニーカーで冬の北海道に行かないようにね?幸いそれなりの林の中だったのでエゾマツだかトドマツだかの木に捕まりながら登っていくことが出来たわけだが、これがなかなかキツい。僕腕力弱いんだヨォ。エゾマツだかトドマツだかの木を命綱になんとか急斜面を上りきった先に見えたのは一面に広がる森林の雪景色と宗谷本線の線路。見える限り雪で真っ白に染まった森林は本当に美しく、こんな大自然の中でKIKANSYA活動が出来ることにただただ感動であった。

欲を言えば雪を掻いて欲しかったが、ないものはしょうがない。ロケーションは最高だったのでここもまた来たいところ。

続いては音威子府の定番撮影地である。ここはまだ雪が残っていたので期待が高まるが、ここでも天気が多動しており不安も高まる。モノの音が聞こえてくる。朱色のラッセルヘッドが物凄い量の雪と共にご登場。夢中でシャッターを切った。

やべえええええええええ! 天塩中川から作業灯も点灯したようで、オタクスマイル全開である。やっぱり北海道来て良かった…。しかし雪のせいで露出の調節に難儀し、編集でも上手く雪の綺麗な白が表現できなかったのが残念なところ。何度も試行錯誤して納得のいくレタッチができたら個々の画像も差し替えることとしよう。

その後は東恵橋や佐久駅付近のS字など、縦アンショバを履修し、一行は第二の戦場、石北の地へと足を運ぶのであった。

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いかがでしたでしょうか。初訪問の北海道。自分のリサーチ不足、準備不足が早々に露呈し続け、一人の鉄として以上に一人の人間として至らない点が多く浮き彫りとなり、今後の人生において良い経験が出来た一幕となりました。

私も生まれてこの方22年半が過ぎ、親にあれこれ言われることもかなり少なくなったモノですが、親が口酸っぱく言い付けて来ることはやはり生きるために最低限必要なことだなと恥ずかしながらこの歳になって実感します。このようなことを言うのも不適切かもしれませんが、やはり誰かに言われても響かぬもので、自分の身にふりかかり初めて心に響くものだとも感じ、一つ成長できたかなと思います。

さて、次回は舞台を石北本線に移します。まあすぐに宗谷本線に戻ってくるのですが…。石北は一足早くキヤ291が導入されており、宗谷とはまた違うラッセルの姿を追うことになります。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

それでは、また。