地下鉄西神・山手線 北神線 ダイヤ改正に寄せて

こんにちは。随分と更新が途絶えており申し訳ありません。さて、かれこれ半年も前の北海道旅行記がまだ完結していない状況ではありますが、今回は舞台を地元兵庫県に移し、神戸市営地下鉄について綴っていこうと思います。

去る7月18日、神戸市交通局より2023年8月18日に西神・山手線北神線ダイヤ改正を行う旨のプレスが出ました。主な改正内容として、

(1)車庫機能の再編に伴い谷上車庫の運用を一時休止
(2)平日朝8時台の名谷以西、西神中央行列車を2本増便
(3)ダイヤ改正に伴い、各駅の発着時刻変更

-神戸市交通局公式サイト(https://www.city.kobe.lg.jp/a80062/kurashi/access/kotsukyoku/subway/news/2023/2023daiyakisya.html)より引用

の3点が挙げられると同時に、1000形・7000系の引退も告知されました。この記事を執筆している段階でもう改正2日前とかそう言うレベルなので今更なんだって話なのですが、ここまでは長ったらしい前置きということで、本題に入っていこうと思います。ダイヤ改正直前ということで、前回のダイヤ改正、つまり現行ダイヤとなる前夜の思い出話です。本当は改正1周年の今年6月10日に書こうと思ってたのに放置してたのはここだけの話。それではどうぞ。

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一年少々前の2022年6月9日まで時間を巻き戻そう。西神・山手線は、この頃1000形が6編成、7000系は全車健在だったとはいえ既に3000形はおろか2000形も全車引退済とあって地下鉄へのモチベーションが下がっていた時期であったが、2日前に52号車(7052F)が西神車庫へ疎開され、改正で北神車の運用が大きく変わるとあって仲間内で神戸の地下へ潜ることに。まずは改正で充当回数が大削減される事となった北神車の新神戸行き。

うーん最終日の日中に55か〜と正直ガッカリしたところではあるが、写真の立ち位置では時間も分からないし正直なにかと微妙な結果に。その後すぐに運番62でやってきた54号車(7054F)や余命幾許かの12号車(1112F)を撮影し、夜を待った。本番はここからである。

夕方、お目当てだった51号車(7051F)が所定通り運番63で出庫してきたのを確認し、歓喜に沸く我々。運番63最終日とあって、各々思い思いにカットを稼いでいく。順調に谷上⇔西神中央を一往復し迎えた二往復目。私は西行きでやり残したカットがあったので、一旦単独でケツ撃ち闇の撮影地へ。入線してくるアイボリーと淡茶色の車体に「7051」とあるのを確認し、安心して発車を見送りつつ、シャッターを切る。

シールドトンネルの向こうに消えていく51号車。私はこの光景を忘れないだろうと今でも思う。何を隠そう、この折り返しでとんでもない事件が起きたからである。

改めて定番撮影地でのカットが欲しかったので、比較的難易度が低い撮影地へ。そこで仲間の一人と再度合流した。この頃の西神・山手線はまだある程度1000形が生き残っていた事もあり、その記録等をしているうちに、51号車が戻ってくる時間に。前駅を出たとの案内。しかし…「…あれ、なあこれモノよな?」と仲間が口を開く。え?そうやろ?北神車の時間や。「なんかLED見えとんねんけど…」…あ。西神・山手線北神線でLEDの前照灯を搭載しているのは6000形のみである。え?は?何???何が何だか分からない。しかし北神車の時間に入線してくるので何が何だか分からないままシャッターを切り、慌てて画像を確認する。

やってきたのは41号車(6141F)で理解が追いつかない。改めて表示を見てみると、なんとビックリ[63 新 神 戸]とあるではないか。なんということだ。トンネルの向こうへ消えた51号車は、行ったきりそのまま帰って来なかったのである。やられた。ダイヤ改正を前に、どこかで車両取替を行なった。52号車が西神車庫に疎開したことを考えると、51号車も西神中央で取替られたのだろう。これで51号車の撮影は継続できないこととなり絶望したいところだが、被写体はそうもさせてくれない。取替相手は6000形、そう。運番が表示されるのである。いとも簡単に北神スジ代走とわかる。それも今日限りで廃止される運番63。撮り続けるしかないのだ。私と同行した仲間は他の仲間に取替の旨を連絡すると、急ぎ地上へ。

西行き、東行きともどもなんとか被りも回避し、無事に運番63の代走を撮影することが出来た。

併せて改正で消滅した北神車による夜の新神戸行きも撮影し、入庫時刻が早い運番63はこれで入庫となるので一通りの被写体の回収が完了したので撮影を終了。一行は51号車が西神中央で車両取替がなされ、そのまま入庫、疎開されたと見て、一路西神車庫へと向かった。

我々の予想は当たっていた。西神車庫で先に疎開されていた52号車の隣に留置されていたのである。

これから一年近く続いた西神疎開であった。これにより、51,52号車は定期運用を離脱。私が撮影した51号車の西神中央行きは、奇しくも最終営業運転となってしまったのである。

あとはみなさんご存知の通り、翌日のダイヤ改正以降北神車の運用は平日朝夕の60,61と土休日朝の60、この3運用のみに限られてしまい、日中運用は完全消滅。充当車もほぼ55,時々53,たまに54といった具合となってしまったのである。

それから一年と少しの時間が流れ、先日西神車庫から7000系の姿はなくなり、1000形は18号車1編成を残すのみ。そして7000系共々、あと数日で神戸の地下から姿を消してしまう事となる。6000形の新製投入時から、既存車全て置き換えは公式からも言われ続けてきたことであるが、いざその時が来たとなると実感が湧きにくいところではある。しかし、1000形は確実に見なくなったし7000系も車両を選んで撮影することは難しくなった。そして来週には完全に営業線で見られなくなるのである。2020年から3年間にわたって私の趣味を支え、一撮り鉄としてたくさんの経験や思い出をくれた数々の既存車やその運行を支えてくださった交通局の皆様への感謝の思いを胸に、今回はこの辺りで筆を置かせて頂く。ありがとうございました。

いい日旅立ち〜北へ〜 Part.3

優秀な木材、スギ。日本の山沿いへ赴けば必ずと言っていいほど目にする針葉樹。天を目がけて真っ直ぐピシッと伸びるように成長する様には尊敬の念すら抱く。しかしそのスギの木から飛ぶ黄色い物体は何だ。なぜお前らの繁殖活動に我ら人類が巻き込まれねばならねンだ。こちとらお前らのせいで鼻が阪神大水害なんだよ。アレグラも効かねえしくしゃみ鼻水でマスクはそれはもう悲惨なことになってるしティッシュは秒でなくなるし大変なんだぞ。慰謝料払えやゴラァ

みなさんこんにちは。関西に帰ってきてから花粉症に悩まされメンがヘラっておりますらいらっくです。何するにもくしゃみ鼻水目の痒みの役満でそれどころじゃないですが、今回は北海道旅行の3回目。石北ラッセルを中心に書いていこうと思います。宗谷ラッセルと比べるとカット数が少なく、現像も終わったので、この回にて駆け足で済ませたいと思います。

それではどうぞ!

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宗谷ラッセルの一夜目を終え、時間は夕方。やってきたのは石狩川に架かる鉄橋。ここも先人が切り拓いてきたヲタク道を征く。先にラッセルとは逆方向からヨンマルが来ると言うことで撮影。念願だった北海道のヨンマルと初のご対面だった。カッコいい。ヤバい。通いたくなる。ヨンマルが行ってしばらくしたらモノの汽笛。現代感、箱感満載のキヤが石狩川を渡ってくる。切り位置をみきわめシャッターを切る。

側面のロゴえいね。床下がまだ真っ黒で綺麗なのもポイント高い。先っちょの回転灯が気になるけどなんなんこれw 最初はキヤかぁ〜と思ってしまったが、何事も食わず嫌いは良くない。キヤはキヤで良さがある。そしてなにより先述のロゴである。良い。追っかけの道中でスナップの機会があり、その際にVermilion Russelのロゴ(要審議)だけ抜いて撮らせて頂いた。気に入ったのでTwitterのヘッダーにした。

続いては瀬戸瀬。ここでは特急オホーツク、普通列車の2本と交換するため停車する。

オホーツクは再来週に控えたダイヤ改正キハ283系に置き換えられるとのことで、新参者と去りゆくモノの並びが実現した。ここで思ったのだが、このキヤ、ケツ撃ちするとなかなかカッコいい。オホーツク通過前にキヤ単体でケツ撃ちもしたのだが、帰ってから見たらピントが合っていなかったので、これも来季以降の宿題としたい。

石北ラッセルの追っかけはここまで。この先は私の我儘で天塩中川Bのリベンジをするべく、名寄へ戻って頂くこととなった。リベンジマッチの幕開けである。

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いかがでしたでしょうか。キヤ291は石北からDEを駆逐したことで良く思わない方も多いとは思いますが、決して悪い被写体ではないと思います。石北ラッセルは後日もう一度撮影する機会があるのですがこちら私BOSEですので、この一回にまとめさせて頂きたいと思います。

それでは、また。

いい日旅立ち〜北へ〜 Part.2

こんにちは。

北海道旅行の2回目。旭川キハ183系を撮影しようとしたところ、遅れにより被られ撃沈したところから。

今回から実質本編見たいなところあるんで前より増して長ったらしくなりますので、読者の皆様の好きなタイミングでチマチマ読んでもらえればなと思います。

それじゃあ逝ってみよう!!

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旭川で撃沈したからといって落ち込んではいられない。クルマは一路北へ走っていく。

かつて戦車も渡れるとされた軍都旭川の象徴、旭橋を渡る。ブレースト・リブ・バランスド・カンチレバー・タイドアーチ橋と呼ばれる独特で美しい構造のトラス橋は見る者を魅了するには充分であった。よくもまあ戦禍を免れ現代まで残ったものである。これで旭川の観光も終了。旭山動物園はまたの機会に行ってみたいと思う。

旭川を出てどれだけ経っただろうか。私が寝落ちしてしまったこともあり、気が付けば道北の名寄まで来ていた。駅前の駐車場に車を止め、今回の狙いである宗谷ラッセルの出庫まで待機する。ドライバーのお二方はここで水爆実験を施行。私はキハ40やキハ54が撮りたかったので、名寄駅に発着する列車の時間を見ては車を出入りし撮影に赴くことを繰り返した。

車を降りると、札幌や旭川とは比べ物にならない寒さが私を襲った。。新千歳空港の玄関を出て初めて北海道の空気に触れた時の「ヒヤッ」とした感覚とはまた違う極寒の寒さである。外気は-8℃だったか9℃だったか。いよいよ今回の戦場に来たのだと身が引き締まる。

まず稚内から来た名寄止を跨線橋から一枚。宗谷本線は新型のDECMOことH100形気動車が大多数を占めているが、名寄以北はまだキハ54の運用が残っているそうだ。関西発の甲種で大量のDECMOが蝦夷地へ島流しされて行ったのは記憶に新しいが、あまりにも増えていたので驚いた。なにせ名寄以南は数本を除いて全てDECMOなのである。ヒェェ

そのDECMOで事件は起こった。私たちDENSYAからの人気は底辺と言っていいだろうDECMOだが、せっかく地元兵庫で造られた気動車である。時間もあるし、撮ってもいいだろうと言うことで早速カメラを構えるが…。前照灯が一向に点かない。ウテシはとっくに来ているが点かない。地元で嫌と言うほど感じてきた嫌な予感がする。発車時刻だ。ドアが閉まり、エンジンが唸る。やっぱり前照灯は点かない。ここまで来たらもうお察しである。私の横を通り過ぎた瞬間に点いた。ありえない話である。なぜこんな日本の北の果てまできて発車後点灯に遭わなければならないのだ。先程跨線橋から撮ったキハ54もバルブは発車後点灯にやられており、内心発狂したし会社が潰れそうやから乗務員もオタクに嫌がらせせなやってられんぐらい心に余裕がないんやろ、などと大変失礼なことも考えたりはしたが、北海道の始発駅ではこれがデフォルトなのかもしれないと思い堪える。キハ54はともかく、DECMOは所詮DECMOだ。会社とDECMOのどちらが先に潰れるか分からないレベルなので気にしないこととする。しかし問題はキハ54だ。稚内方面からの列車は既に終了したので期待はできまいと落胆していたら、その稚内方面から踏切の音がした。何がくるか分からなかったがとりあえず構えると、闇の中からキハ54の前照灯が見えてきて一気に緊張する。「頼むから消さないでくれ…」と祈る。やってきたのは名寄に入庫する回送列車だった。祈りが通じたのか終始前照灯も点けっぱなしで、最後には汽笛もサービスしてくださった。BOSE回避。ありがとうございました。

あとはもうDECMOしか来ないしDECMO如きで精神をすり減らすのも嫌だったので車に戻る事に。その前に名寄の駅舎がとてもいい雰囲気だったのでちょっぴりスナップ。それなりに満足して車に戻ると、ドライバーのお二人はお目覚めになっていた。そろそろ出発の時間だ。

名寄の駅に入るのを撮ろうとしたらすでにモノが駅にいたので慌てて反対側の踏切に移動してまず一枚。ラッセルと初のご対面である。ゴツいラッセルヘッドに重厚感ある国鉄釜DE15の車体。エンジンの唸り。たまらない。

初野で一発撃ったあとは音威子府である。入線のケツ撃ちと一般的なバルブが出来るらしい。モノの接近と共に、駅舎で待機していたDENSYAもといKIKANSYAたちがゾロゾロと跨線橋に向かう。すぐに踏切が鳴った。KIKANSYAたちは全人類ケツ撃ちに向いていたが、ラッセル初参戦の私はここまでの道中で得た感覚と、音威子府では少々停車するとのことで、「これは入線でも行けるのでは?ケツはあとでいいや」と考え、周りとは真逆の向きにカメラを構え、シャッターを切った。

まあまあまあまあ。雪すごいね。帰ってからゴーストの処理と色出し超苦労した。ちなみにしばらく停車すると聞いていた音威子府はタッチアンドゴーだった。「まあ明日以降に再履修すればいいや」などと言っていたのだが、事情が変わってしまい来季への宿題となってしまった。ちなみにどういう事情の変化であったかというのは当ブログを読み進めていただければやがてわかることになるだろう。

その後は天塩中川でバルブ撮影にも挑んだものの、それなりの数のKIKANSYAsがおり思い通りの撮影ができなかった。こちらはドライバーのお二人にお願いして翌日最優先で再履修させていただくこととした。その後、車に戻った私の意識は遠のき、気が付いたら日本の鉄路最北端の地稚内。しかし私は初日からすでにへばっておりスイッチが入らず、鮮明な記憶があるのは折り返しの抜海から。稚内は一度行ってみたいと思っていた場所であったが、今回の旅行でこのあと再訪することはなく、こちらも将来への宿題となってしまった。自分で言うのもなんだが私はかなりいい加減な思考で済ませてしまうところがあるが、こうしてブログに残しておけば多少なりとも再履修に動こうと思えるだろう。

その抜海で問題が発生した。ラッセルヘッドの上二灯、いわゆる作業灯が点灯していないのである。はあ。まあ雪全然ないしなんならレールちゃんと見えてるし仕方ないのかもしれない。これもいずれ記事にできたらいいなとは考えているが、今年の私はつくづく雪に関する運がない。1月中旬に上越カッターを撮影するため遠路長岡へ赴いた際も記録的な高温により雪が解けてしまい、走ったはいいがどこか寂しいカットを量産する結果となってしまった。毎年大学入試共通テストの試験日は運転されているので走ったからよかったものの、あの日以外の日程で撮影を強行していたら間違いなくBOSEだったことだろう。

気を取り直して次のショバへ。雄信内の近辺で車が止まる。到着早々、S氏は軽い身のこなしで雪の山をかきわけ、山に分け入ろうとしている。ん、待てよ。確かに近くに線路がある気配はない。高く降り積った雪をかき分けていくのも、ここは北海道だ。まあわかる。でも…え?待って?山?これどう考えても雪の山じゃなくて雪山だよね?え?これから登んの?…マジかぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼‼

まず第一に、慣れないLCCでのフライトに加え、睡眠不足も相まって4日間の行程のまだ2日目であったがすでに体力の限界が訪れていた。第二に、あろうことか私は今回スニーカーで極寒の北海道に来てしまったのである。一般の方々と比べて山登りの機会が多い撮り鉄真剣部の皆様方や本格的な登山経験のある読者の方に置かれましてはすでに「あ…」となられていることだろう。スニーカーで雪山に入るというのは自殺行為に他ならない大変危険な行為なのである。もちろん私もその点は重々承知していたが、追っかけ中心となる今回の撮影で俯瞰に行くことなど全く想定していなかったのである。ただでさえスニーカーで北海道に来たことを悔いていた私は、戦闘開始前からメンタルブレイクしてしまったわけだが、被写体は待ってくれない。かといって、こんなところで滑落死なんてしてしまえば、同行者のお二人だけでなく、同じ撮影地に来られた多くの同業者の方々に多大なる迷惑をおかけしてしまうことになる。そればかりはなんとしても避けなければならない。そこで、私はひとまず「危険と判断したら即断念」を条件にスニーカーでの雪山登山に挑むことにした。この段階で既に危険な決断であるが、そんなことを言っては高いお金を払ってきたのが報われない。オタクが切り拓いたであろう獣道ならぬヲタク道を進む。突如として急斜面が現れ尻込みするが、しのごの言ってる場合ではないので足をかけるが滑る滑る。パウダースノーが踏み固められシャーベット状になっており、まともに足がかからない。よい子(だいぶ要審議)のみんなは間違えてもスニーカーで冬の北海道に行かないようにね?幸いそれなりの林の中だったのでエゾマツだかトドマツだかの木に捕まりながら登っていくことが出来たわけだが、これがなかなかキツい。僕腕力弱いんだヨォ。エゾマツだかトドマツだかの木を命綱になんとか急斜面を上りきった先に見えたのは一面に広がる森林の雪景色と宗谷本線の線路。見える限り雪で真っ白に染まった森林は本当に美しく、こんな大自然の中でKIKANSYA活動が出来ることにただただ感動であった。

欲を言えば雪を掻いて欲しかったが、ないものはしょうがない。ロケーションは最高だったのでここもまた来たいところ。

続いては音威子府の定番撮影地である。ここはまだ雪が残っていたので期待が高まるが、ここでも天気が多動しており不安も高まる。モノの音が聞こえてくる。朱色のラッセルヘッドが物凄い量の雪と共にご登場。夢中でシャッターを切った。

やべえええええええええ! 天塩中川から作業灯も点灯したようで、オタクスマイル全開である。やっぱり北海道来て良かった…。しかし雪のせいで露出の調節に難儀し、編集でも上手く雪の綺麗な白が表現できなかったのが残念なところ。何度も試行錯誤して納得のいくレタッチができたら個々の画像も差し替えることとしよう。

その後は東恵橋や佐久駅付近のS字など、縦アンショバを履修し、一行は第二の戦場、石北の地へと足を運ぶのであった。

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いかがでしたでしょうか。初訪問の北海道。自分のリサーチ不足、準備不足が早々に露呈し続け、一人の鉄として以上に一人の人間として至らない点が多く浮き彫りとなり、今後の人生において良い経験が出来た一幕となりました。

私も生まれてこの方22年半が過ぎ、親にあれこれ言われることもかなり少なくなったモノですが、親が口酸っぱく言い付けて来ることはやはり生きるために最低限必要なことだなと恥ずかしながらこの歳になって実感します。このようなことを言うのも不適切かもしれませんが、やはり誰かに言われても響かぬもので、自分の身にふりかかり初めて心に響くものだとも感じ、一つ成長できたかなと思います。

さて、次回は舞台を石北本線に移します。まあすぐに宗谷本線に戻ってくるのですが…。石北は一足早くキヤ291が導入されており、宗谷とはまた違うラッセルの姿を追うことになります。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

それでは、また。

いい日旅立ち〜北へ〜 Part.1

をたくもすなるぶろぐといふものを、我もしてみむとて、するなり。

みなさんはじめまして。普段はTwitterInstagramで活動しているらいらっくと申します。どれだけ続くか分かりませんが、どうぞよろしくお付き合いくださいませ。

さて、第一回となる今回の舞台は北の大地北海道。命からがら関西に生還して早数日。早くも薄れ始める細部の記憶を思い起こしつつ、念願だったラッセル車を追って北の大地を駆け回った思い出を綴っていければなと。

それでは逝ってみよう!!

いい日旅立ち〜北へ〜

2023年2月も終わりの24日早朝。朝起きることが難しい私はほんの数時間仮眠しただけ、いや正確にはオールに失敗し寝落ちしただけの重い瞼を擦りながら阪急電車の車内にいた。ただでさえ朝は苦手なのに朝っぱらから大きく重いリュックサックと蓮を持ち運び、ただでさえ豆腐な私のメンタルは早々にやられかけていた。私の難儀な性格上、自分が計画したとかご縁があってお誘い頂いたとか関係なく旅行の直前や当日の朝は何故か行きたくない病の発作が出るので余計である。

まだ朝の6時過ぎだと言うのにそこそこな乗客を運ぶ準特急。こんなクソ早い時間から週5で仕事に向かえるサラリーマンたちは一体何者なのだろうか。私には到底出来ない偉すぎる。生きてて偉いようん。どうか強く生きてもろて。そんな乗客たちも十三でほとんどが降車し、車内に余裕が出来たと思ったら一瞬で梅田。こちらは比較的空いてて拍子抜けした地下鉄御堂筋線を乗り継ぎ、やってきたのは難波。ここからは南海電車の○人輸送列車こと特急ラピートに乗車する。朝7時の便とあって、私が特急券を購入した段階で窓側は既に埋まっていたが、背に腹はかえられぬので大人しく通路側の席を確保。天下茶屋の段階で完全に満席となったらしい。聞いてますか遥さん。

話は逸れるが、ラピートの座席は背ズリの形状も良く、座布団も心地よい柔らかさ。背面テーブルも付いており、たった40分程度の旅路には勿体無いほどの接客設備であった。先日梅田貨物線の葬式で乗車した遥さんとは偉い違いである。現状、大阪の都心である梅田や難波へのアクセスもラピートの方が便利な状況であるが、このブログを執筆している段階でもうあと20日を切ったダイヤ改正で遥さんがうめきた新駅もとい大阪(要審議)に停まるようになると状況も変わってくるのだろうか。

話を戻そう。私は南海とは全く縁がなく、おそらく5年以上ぶりに車窓を流れる天下茶屋以南の景色を楽しんだのも束の間、関西空港連絡橋に突入する。タンカーが突っ込んでこないかとビクビクしてみたものの全くそんな訳もなく、無事に関西空港上陸。ラピートの車内チャイムいいね。癖になりそう。○人ばかりかと思っていたが、日本人のビジネスマンも多かったし、向かいの座席に座っていた○人旅行客のマナーは○人にしては良い方で少しだけ見直した。

そしてここから地獄の第一章が幕を開ける。

まず、一口に関西空港と言ってもターミナルが複数ある。国内線だけでも二つある。そして私が乗る飛行機が離陸するのは第二ターミナル。聡明な方ならもう察しがついたかも知れないが、そう。あのP社(自主規制)である。第二ターミナルはもっぱらP社の発着に使われているのだが、まずコンビニがない。エアロプラザ近くのローソンでマフィンとメロンパン、そしてコーヒーをau payで購入したら195円?とかでびっくり。クーポンが自動的に適用されたらしいがいいんですか?195円で。この物価高のご時世でありがたいモノである。

200円もせず朝飯を買えてご機嫌なまま連絡バスに乗り込み、7〜8分で第二ターミナルに到着。チェックインも済ませたのだが、ここで問題が発生した。P社は、機内に持ち込める手荷物は合計で7kgまでと決められている。それ以上は預けなければならない。私のリュックサックは9kgを悠に超え、片手には折り畳んでも80cmを超える蓮。詰んだ。機内に持ち込めるものなど何もない。今から同行しても仕方ないのでカウンターで手荷物の追加をお願いする。P社のサイトでこのような場合は追加料金をクレカかバーコード決済で払うようにと書いてあったので「au payでお願いします。」と提示しようとしたその瞬間…

「お客様au payには対応しておりません」

… ……は?

いやお前らバーコード決済がご利用頂けます。って書いてたやんけ。リサーチが足りなかった俺も俺やがサイトに対応してる決済方法書いてへんかったやんけ。それで空港まできて対応してませんはやばいやろ。しかも時刻は8時前、飛行機の離陸は8時55分である。マズい。とてもマズい。まず、第二ターミナルにはコンビニがない。ATMはあるが私は地銀にしか口座を持っていないため対応していない。これはエアロプラザに戻るしかないのである。しかし連絡バスの所要時間は10分が目安。戻ってきたら8時20分ごろということになるが、これはあくまで単純に往復した場合の話であり、私がP社に対応するキャッシュレス決済に入金する時間などは含まれていないのである。そして手荷物検査の締切は出発30分前の8時25分。このままでは搭乗すらできず、北海道に行けなくなる可能性もある。急ぎ連絡バスに駆け込みエアロプラザのローソンに直行。paypayに5Kチャージしようと思い、諭吉をATMに突っ込む。お釣りが出ると信じて疑わなかったが、画面には「取引完了」の文字。え…。終わったんやが。車代に使う諭吉飲まれたんやが。え?俺この旅終わったくね?どの面下げて運転士さんに会えばいいの?しかしそうこうしている間にも搭乗手続きの締め切りが迫っている。私は猛ダッシュでバスに乗り、急ぎ第二ターミナルへ戻るのであった。保安検査間に合った。本当によかった。生きた心地しなかった。ふえぇ…。

かなりバタバタして先が思いやられるが、こうして私はなんとか北の大地、北海道へと旅立つことが出来た。よかったね。

初っ端からヒリつきながらもなんとか関西空港を離陸した私。この日の関西地方はあいにくの雨で離陸早々雲に包まれてしまったので、溜まった写真を現像したり、朝食で買ったマフィンを頬張ったりメロンパンのカスをポロポロ溢しながら食ったりしながら時間を潰していると、男鹿半島の上空あたりから雲が抜けてきた。滅多に飛行機には乗らないオタクなので、こうして高高度から俯瞰すると地図と同じ光景が広まっていてちょっと興奮する。

青森の上空では八甲田山が綺麗に見え、思わずLightroomを起動し、こう言う時にRawが撮れるコンデジあると便利なんだろうなぁと思いつつスマホのカメラでパシャリ。こう言う時のLightroomカメラは有能である。

あっという間に1時間55分のフライトを終え、新千歳空港に着陸。しかし駐機場のキャパがないとか言い出して飛行機が誘導路を多動し始めた。P社くんさぁ…。結局20分ぐらい待たされようやく降りることができた。ここで今回運転して頂くS氏、T氏と合流する。新千歳空港では手荷物もスムーズに受け取り、オリックスレンタカーへ向かう。今回3泊4日、お世話になるのはシエンタだった。車には詳しくないが、車種的にアタリ枠との事。三列シートで後部座席を収納すると、3人分のリュックサックやカメラバッグ、ゲバ、キャタなどがすっぽり収まり、私の座る二列目もかなりスペースに余裕がある。なるほど、これは確かにアタリだ。そして一行は最初の目的地である豊平川の河川敷へと向かうのであった。

豊平川到着。狙うは785系の特急「すずらん」である。「スーパーホワイトアロー」「スーパー白鳥」として札幌/新千歳〜旭川間や青森/新青森〜函館間の都市間輸送を担っていたのも今は昔。今や僅か2編成が789系と共通運用でもっぱらすずらんでの運用となっているのが現状である。

ちなみにモノの前に737系なる新車の試運転が通過して行ったのだが、ただでさえ長くなっている尺がこれ以上長くなるのもよろしくないので、詳細は割愛させて頂く。こんなとこまで来て撮る事になるのなら甲種撮ったきゃよかったな〜と思ったり思わなかったり。

通過してすぐT氏にガングロガ○ジとかいうとんでもないあだ名をつけられてた。デビューすらしてないのに可哀想に笑

そうこうしてる間にモノのお時間。

カッコいいね。架線柱の処理もう少しなんとかしたかったかな。それにしても幼い頃に図鑑で見た列車を大人になって現地で撮影するのにはやはり感慨深いものもある。これも撮り鉄の一つの醍醐味と言えるだろう。新千歳空港到着の段階では薄晴れだった天気は急転し大雪に。モノの前までは遠くに見えていた札幌のテレビ塔も瞬く間に見えなくなってしまった。

改めて自分がどんなところに来たのか実感させられつつ、車へ。ちなみにだが一瞬でも遠くにテレビ塔が見えたので札幌観光はこれでおしまいである。まあ行ったところで「ふ〜ん」で終わるだろうしそれぐらいがちょうどいいだろう。

札幌から車でおよそ4時間。私の記憶が正しければずっと下道だったと思われるが旭川に到着。時刻は19時前とあって、すでにあたりは真っ暗である。ちょうど、次の改正で姿を消すこととなるキハ183系特急「オホーツク」が旭川にやってくるとのことで、お二人にお願いして旭川駅に寄って頂く事に。しかし…「特急オホーツク3号網走行きは約10分遅れで〜…」おいおいおいおい。マジで言ってん?まあ時間はあるし待ちますか〜などと話していたら、われわれのホームに当駅止まりの接近放送。折り返し普通列車になると言うではないか。「…終わった。」そう。ここは北海道。首都圏や関西と違い、そんなすぐに折り返すわけがないのである。そして、旭川止が入線してすぐにオホーツクの接近も鳴動。

【悲しいことがありました】

終了のお知らせである。

15分ほど遅れての到着だった。もはやBOSEと断言したいところだが、対向の旭川止がヨンマルだったこともあり、キハ183ともども近いうちに消えてしまう被写体なのでツーショットのようなものを写し退散。二度と再履修の効かない被写体を前にこのような結果となり唇を噛むしかないが、ここまで再三のチャンスがありながら北海道に足を踏み入れなかったのは私自身である。残念だが、再度北の大地をさらに北へと北上して行くのであった。

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いかがでしたでしょうか。初回からかなりの量を書いたつもりですが、これでもまだ1日目の半分ぐらいの量しか書けていません💦

それぐらい北海道での思い出が濃かったんやということで、温かく見守って頂ければ幸いです。

今回は関空出発前のドタバタと、豊平川での撮影を中心に書かせて頂きましたが、札幌近辺のJRもなかなか楽しいですね。私個人としてはJR北海道と言えば721系と言う印象が強く、その721系も含め色々なバリエーションの列車が撮影出来てとても楽しかったです。夏にでも札幌を中心に観光メインで訪れつつ、ちょろっと撮影出来たらいいなーと思います。

さて、次回からようやく本編と言える区間に入っていきます。札幌での撮影を楽しんだ私。だが、この時の私はまだ北海道の恐ろしさを知らずにいた…。

ここまでご覧頂きありがとうございました。

それでは、また。